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株鳥風月

Author:株鳥風月
2003年より株式投資を始める。
詳しくは「はじめに」をご覧ください。

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「香港大富豪のお金儲け 7つの鉄則」(林和人著)を読む

■本を読むってやっぱりいいものだ。

ここ4年ほど集中的に株のことを勉強し、同時に実践してきたが、今年の夏に入って仕事が忙しかったせいもあるが、何か糸が切れたように株から関心が離れてしまった。
私の生き方のパターンはあることに興味を持つと、それに集中し毎日、朝から夜までそのことを考えてしまうという生活が3年から5年続く。
そしてある程度満足できる状態に達すると急速に関心が薄れていくというパターンである。

株についてもそんな感じがしていた。
自分では株で得た資産に満足したわけではないけれど、株に強く関わり続ける生活がその他の楽しいことから見ると決して楽しいものとは思えなくなってきたといいうこともある。
これは人によるだろうけれど私にとっては週に2、3本の映画を観、毎日、かかさず本、特に小説や漫画を読み、音楽を聴くという習慣が何週間も崩れると無意識のうちにストレスがたまっていき、そのうちに爆発してしまうらしい。

と、そんなことで株から身もココロも離れてしまっていた数ヶ月だったが、最近、「香港大富豪のお金儲け 7つの鉄則」)林和人著)という本を読んで、また「お金」の世界も面白いなと思った。


■なるほどと思ったところを抜粋すると…

林氏は中国株などに強いユナイテッドワールド証券を設立し、現在は同グループ代表。

若い頃、岡三証券香港法人に出向したことで香港の大富豪たちと知り合いになり、彼らから学んだお金持ちの秘訣を自分に応用することで自分も10年あまりで会社を買い取るほどの資産を築くようになった。
本書は、大富豪たちに直接つき合った人だけが知り得た哲学と林氏自身の若き日からリッチになるまで、そしてその後までが語られており、お金持ち本+人生論のような体裁になっている。

といえば、「ユダヤ人大富豪」を思い出すかもしれないが、あちらはあまりにも“きれいな”物語で、金持ちになってしまったひとには心地よくても、これからお金持ちを目指そうという人には“ココロに毒”かもしれない本であるのに対し、こちらは、大富豪たちのカネに対するすさまじい執着ぶりが書かれている分だけ納得もするし、ハウツーを書かれている分、お買い得かも。

以下に、本文からいくつか面白かったところを抜粋しておこう。

① 大富豪の一人、コン氏に著者は熱心に株購入を勧めるがまったく相手にされない。で、たまたまその当時(1991年)、出された日経平均オプションのことを話すと、コン氏は即プットオプションを大量に買ったという。

また1997年、6月のタイ通貨危機に端を発するアジア経済危機が起きたとき、香港最大の投資家タム氏は香港市場で集中的な売りですべての持株を売却した。
この時点ではタイ通貨危機が香港市場に影響をもたらすとはほとんどの人が思っていなかった。

* つまりコン氏は日本株がその先、まだまだ下落することを確信していたのだろうし、タム氏も同様に自分の情報と今後の方向に揺るぎない自信を持っていたということになる。
二つのケースからいえるのは、彼らは常に相場を相対化する視点を持っており(換言すれば、自分が投資している市場をもっと広い視野に置きながら、客観的に見る目を持っており)、また必要と判断すれば迷わず果敢に行動するという共通点をもっているようだ。

② 資産は不労所得で稼ぐ
大富豪の富のほとんどは不労所得によって得られている。不動産投資と賃貸収入と株投資と。
ただ就労所得を持たない人生はひずみを生じさせる。

*不労所得こそが金持ちへの絶対条件というのはロバート・キヨサキの「金持ち父さん」以来、常識になっているが、それでもやっぱり同時に汗して働くことによって生のバランスを取るという著者の意見には共感する。

③ 感情に流されず、「経済的合理性」を第一に考えた行動をすること。

④ 大富豪たちはベンツを好む。なぜならベンツはポルシェやBMWなどより流動性が高いために、売るときには20~30%程度高く取引されるから。
大きな資金を動かす場合には流動性の高さをまず考えるということ。

* これは私も今年のライブドア・ショックの時、思ったこと。
流動性の低い新興株は売ろうとしても値がつかず、しかも指値オンリーだったから大損害を蒙ってしまった…。
だから最近は1部市場の売買代金の大きい株が取引の大部分を占めるようになった。

⑤付き合う人物を選ぶ3つの基準
ハードワーク、インテリジェンス、トラストワーシィ・ピープル
つまり、よく働いて、知識に富み、裏切らないこと。

⑥大老賽(だいろうさい)に続け
大老妻とはトップを走るボスということ。
華僑投資家の大老妻といえば香港一の資産家、リー・カーシン氏。例えばリー氏が中国本土のホテルに投資している情報を聞きつけると華僑投資家たちもすぐそれに続くという。

*そういえば、バフェットが中国のペトロチャイナ株を買ったという噂が広まったら、世界中の投資家がそれに続いたことがありましたね。

⑦一極集中投資こそ王道
分散投資では資産は増えない。リスクをとらないで利益を追求することは論理的にありえない。
といって、もちろん著者は危険なギャンブル的な投資を主張しているわけではありません。

*最後の相場師といわれる是川銀蔵氏の伝記を読んだとき以来、あるいはジョージ・ソロスのイギリスを相手に戦った伝説のポンド売りの話を読んだときも、私も「一極集中投資」こそが投資の真髄だと思った。
もちろん、そこに行くためにはよほどの勉強をしなければいけませんが。
投資家は常に現実的でなければならないけれど、一つ許される夢があるとすれば、是川氏やソロス氏のような一世一代の投資をしてみたいもんだと!

⑧国境を越えて投資する
著者はこれから経済成長する国の3つの条件として、
・若い世代の人口増加率が高い
・規制緩和など社会状況の変化がある
・財政が黒字か、黒字に向かっている
 を挙げる。
そして、それに当てはまる国はどこか?

そこまでいうと営業妨害になりそうなので、その続きは本屋さんに行って…(笑


と長々と書いてしまったのは、それだけ刺激を受けたから。

投資に疲れた人がもう一度、元気を取り戻したいときなどに読むと、リゲイン数本分くらいの効き目があるかもしれません。


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中原みすず『初恋』を読む。

この小説を元にした映画『初恋』(監督:塙幸成、出演:宮あおい/小出恵介)の評についてはすでに16日記事に書いたとおり。

今度はこの原作である小説を読んでみた。

この小説を読みながら「若書き」という言葉を思い出した。
若書きというのは、一般的には若い人が書いた、よくいえば“若さ”、悪くいえば稚拙さの残る文章を指すが、面白いのは、この若書きは、書き手の年齢に限らず、ものを書き始めてからの年数が短い人の文章に表れるある種の“若さ”を指していう。

ただ後者の場合に使われる場合の若書きは稚拙さよりも、概ね歓迎の意を持って迎えられる感があるような気がするけれど。


中原みすずは小説に自分のプロフィールを載せていないけれど、私小説風の内容やあとがきなどから推測できるように、あの事件の渦中を生きた人とすれば、決して若いとはいえない年齢の人と思うが、それでも、この小説を読みながら“若書き”という言葉を想起してしまったのは、小説の言葉が言葉自身として立っていないと感じられるからだが、ただだからといって、そこから「稚拙だ」といった感想を己に禁ずるようにして読み進めようとしたのは、いったいどういう力が働いていたのだろうかと自分自身が訝しく感じられた。

まずは映画とのからみでいえば、原作である小説の方には映画に描かれていないことも書かれているし、映画は故意にカットしたり修正したりといった部分を知ることもできたので、その分は読んで損はない。

逆に小説にはなくて、映画だけにあるというものもある。
その詳細は省くが一つだけ、もっとも重要なところを挙げれば(というのも、この部分は私の映画評の中でもっともこの映画の優れているところだと紹介した部分だからだ)、現金輸送車の強奪後、主犯格の男と待ち合わせ場所で落ち合うシーンの二人の“触れ合い”のことである。

これについては映画評に書いたとおりだが、この点において映画は原作である小説を超えた表現となったといえるのではないか。

映画は小説の中から自分の気に入った部分だけを取り出し、張り合わせた、いわばデクパージュであり、だからその点においてもすでに小説とは異なる価値を持った一つの世界をつくっている。

小説の方は作者の生い立ち、家族という<血>の系列が横軸として設定され、もう一方にはこの忌まわしい家族を断ち切るものとしての3億円事件、そしてそこから生じる「初恋」が縦軸として設定されることで“面”への展開を図った感がある。

これに対して映画の方は、横軸を可能な限り縮小し、付随する枝葉を捨象することで、徹底的に“線”としての展開を図っているようだ。

そしてこの線形が物語の純度を高めている。

小説を読むと映画では描かれなかったいくつかの細部が網の目のようにつながっており、それが小説の面白さをつくっているが、映画の方はあえて、その面白いところをカットすることで、監督の描きたいものだけに集中した。
この集中度が映画に勝利をもたらしたのではないかと思う。


映画『ダヴィンチ・コード』が公開されてから、すでにその前に少しブームをつくっていた原作本が再び本屋の店頭に大々的に並べらており、『ユダの福音書』といった関連本も含めてブームになっている。

もしかすると『初恋』も原作→映画化で終わるのではなく、これをきっかけにもう一度、今度は事実としての3億円事件に光が当てられ、そちらに関心が出てくるかもしれない。
そして、今度は映画『初恋』の原作本としてではなく、今度は「府中強奪3億円事件」についてもっとも注目すべき本として再び光が当てられることを期待したい。


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リリー・フランキーの『東京タワー』を読む

読み始めてすぐに思ったことは、この作者は長編小説というものを分かっていないのではないだろうかということだった。
単行本で400ページを超える小説なら長編小説に分類されるだろう『東京タワー』という小説は、どうみても長編小説の体をなしていないからだ。
たとえば日記や随筆をどんなに長く書き続けようと、それは長編小説とはならないように。

『東京タワー』という小説とは、作者自身の過去についての、とりわけ母親についての記憶を生起した時間順にいくつかに分類しながら記述していったもので、そこには当然再構成という作為は含まれているものの、長編小説として構成されたものではなく、文章の量が多かったために長編になったという趣の小説というのが、最初の10ページほどを読んだあたりでの感想だった。

しかし、もう少し読み進むと、この小説は長編小説はおろか、小説と呼べるものなのだろうかという気にもなってきた。

こんなことをいえばこの小説の愛読者は「それはいったいどういう意味だ」と怒るだろうし、この本の表紙でこの小説を絶賛している全国の本屋さんたちも敵に回すことになるだろうから、これについてはあまりとやかく言う気はない。
それに本屋の店頭に並べられている大半の小説がすでにそうなのだから、今さらこんなことをいっても仕方ないのだが。

ただ、ではお前がいう「小説とは何か?」という反論に答える代わりに小説というものを以下に示しておこうかとは思う。


「…人は皆、死んで遠くなるのではなくて、遠くなって死ぬものだ、と親を亡くした人がつぶやいた。それは遠隔の地とか、別居とか、入院とか、そういう事情とは本来、あまり関わりのないことなのかもしれない、とそう話す本人は世話をかなりぎりぎりまで、拠ん所なく、自宅でしたらしい。日々、一人の病気に家中が振りまわされ、それが幾月も続いて、ようやく病人の根(こん)が折れ、ちょうどそれと同時に家の者の力も尽きた感じで、入院の運びとなった。それを境に病人は静かになり、看護婦や付添婦にも手間がかからないと言われ、家の者にとっても、一年ほど前の日常に復したかたちの生活に、日は妙にひっそりと、それでいてなにか寝起きのあらわなというか、者を喰うのもつましくなまなましく、ひたすら明けては暮れるというふうに流れた。最後の夜にはひと気ない病院の廊下を足音ひそめて往き来する家の者の顔が、血のつながらない夫婦まで、同じような骨相をぼってりと剥いていた。だから仕舞いまで病人の身近にいてつぶさに苦労したといえるほどのものであるのに、四十九日が近づいて、ある日、家の主人(あるじ)はふと、親の死をその時になって初めて、しかも遠くから知らされた、思い返そうとすると前後のひと月ばかりの間が、真っ白とはいわないが、いたずらにあざやかなばかりで遠い像のようになった、そんな心地にひきこまれたと。
(古井由吉『仮往生伝試文』)

小説家が書いた文を小説というのか、小説と呼ぶしかない文を書いた人を小説家というのか。

上の引用文でいえば、初めの方の文は確かに作者の統御の下に置かれ書かれているが、後半になるにつれて文の文字や音や意味などつらなりが次の文を生み出していく様がよく見える。そこでは作者は文章に隷属する筆記者にすぎない。

『東京タワー』はエンターテイメント小説であって、古井由吉の小説と比較するのは無理があるというなら最近読んだ本の次の一文はどうか。


「享保年間のごく始めのころ、江戸の町で、俗に『手拭心中』と呼ばれる心中が、一年半ほどのあいだに四件続いたことがある。
四件とも、互いの手を手拭で縛り、離れないようにして水中へ投身したもので、うち三件は首尾良くふたりとも死んだが、最後の一件だけは飛び込んだ拍子に手拭がほどけて、思わず水をかいて泳いでしまった男の方が助かった。生き残った男は、流行(はやり)の手拭など使わずに、心中のならいに従ってしごきで手を縛っておけば、自分だけこんな生き恥をさらすことにはならなんだと大いに悔やみ、助けた者の涙を誘ったという。」
(宮部みゆき『あやし』)


これは確かにエンターテイメントではあるけれど、あるリズムがしっかりと刻まれており、そのリズムによって、この小説が短編小説であること、そしてそれが今、ここから開始されるということを高らかに宣言している。



昔風の言葉でいえば、「文体」というものが『東京タワー』に希薄であることが、良いことか悪いことかは知らないが、ただそれが物足りなさを感じさせるものとなっていることだけは確かだ。


そんなことを思いながら読み進んでいたのだが、中盤以降、「オカン」の死に焦点を合わせ、一気にそこだけに収束していくあたりから物語に引き込まれていき、何度か涙を流しながら読み終えた。

そして、この小説は人に薦めていい小説ではないかと思った。
この小説はいかに人生を生きるべきか、そしてどう生きてはいけないのかを教えてくれる教養小説である。
生きる中でもっとも重要な位置を占めるであろう人との関係、そしてお金というものとどうつきあえばいいのか、この小説から学ぶことがたくさん書かれているからである。
そういう意味でこの小説を推薦したい。

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