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株鳥風月

Author:株鳥風月
2003年より株式投資を始める。
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博士の愛した数式のように美しい映画『博士の愛した数式』

80分しか記憶が続かないという数学者の「博士」はことのほか素数を愛した。
単純で力強く美しいからだ。

この映画を一言でいえば、素数のように美しい映画といえばいいかもしれない。
その美しさをかたちづくっているのは博士(寺尾聡)と少年時代から博士に親しく接していた高校の数学教師(吉岡秀俊)との間に結ばれた、時空を超えた一本の「直線」である。

少し涙が流れた。
といっても深津絵里の演技の下手さが悲しくて泣いたわけではない。

誰かの死や別離があるわけでもないこの映画にどうして泣けたのかに答えようとすれば、それは博士の愛した公式が美しいにもかかわらず、それがなぜ美しいのかという問いに答えるのと同じようにが難しい。

難しいといえば、映画の演技というのは難しいものだ。
だから小津安次郎もR・ブレッソンも演技を嫌った。
演技を完全に排除するためには、いかにも演技をしているという演技をさせることによって、その虚構をあからさまにするしかないと考えたゴダールは役者をカメラの前に立たせて台本を読ませたりもした。

というのに、この監督はどうして深津絵里に演技教則本に書かれているような演技をさせて平気でいられるのか?
監督はきっと深津に、ここは初々しさが出るように演技してね、とかいったのではないだろうか。
そんなことをつい想像してしまうほどに恥ずかしい演技なのだ。

今、演技は難しいといったばかりの口からいうのも恥ずかしいが、ただ一言いっておきたいのは寺尾と吉岡の演技について。

寺尾の抑制された演技のすばらしさについては誰もが認める通りだろうが、吉岡のそれはさらにすごい。
ただなぜ、すごいのかについて私には説明する力がない。

吉岡の演技を“うまい”というのかどうかは知らない。
ただ、それを「自然体」といった言葉でやり過ごしてはならないと思う。

こうして書きながら、つくづく自分の頭の悪さを痛感するのは、自分がふと涙をもらしてしまったのは、吉岡の演技に対してだったのか、それとも先に書いたような無限の彼方からやってきて博士から吉岡へと延びてゆく一本の直線の美しさに対してだったのかさえ分からないからのだ。

最後にもうひとつ褒めたいのは音楽を担当した加古隆のこと。
よかったです。


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