プロフィール

株鳥風月

Author:株鳥風月
2003年より株式投資を始める。
詳しくは「はじめに」をご覧ください。

趣味:映画、音楽、読書など


最近の記事


最近のコメント


最近のトラックバック


カテゴリー


月別アーカイブ


カレンダー

04 | 2017/05 | 06
- 1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31 - - -

全記事(数)表示

全タイトルを表示

ブロとも申請フォーム


スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

リリー・フランキーの『東京タワー』を読む

読み始めてすぐに思ったことは、この作者は長編小説というものを分かっていないのではないだろうかということだった。
単行本で400ページを超える小説なら長編小説に分類されるだろう『東京タワー』という小説は、どうみても長編小説の体をなしていないからだ。
たとえば日記や随筆をどんなに長く書き続けようと、それは長編小説とはならないように。

『東京タワー』という小説とは、作者自身の過去についての、とりわけ母親についての記憶を生起した時間順にいくつかに分類しながら記述していったもので、そこには当然再構成という作為は含まれているものの、長編小説として構成されたものではなく、文章の量が多かったために長編になったという趣の小説というのが、最初の10ページほどを読んだあたりでの感想だった。

しかし、もう少し読み進むと、この小説は長編小説はおろか、小説と呼べるものなのだろうかという気にもなってきた。

こんなことをいえばこの小説の愛読者は「それはいったいどういう意味だ」と怒るだろうし、この本の表紙でこの小説を絶賛している全国の本屋さんたちも敵に回すことになるだろうから、これについてはあまりとやかく言う気はない。
それに本屋の店頭に並べられている大半の小説がすでにそうなのだから、今さらこんなことをいっても仕方ないのだが。

ただ、ではお前がいう「小説とは何か?」という反論に答える代わりに小説というものを以下に示しておこうかとは思う。


「…人は皆、死んで遠くなるのではなくて、遠くなって死ぬものだ、と親を亡くした人がつぶやいた。それは遠隔の地とか、別居とか、入院とか、そういう事情とは本来、あまり関わりのないことなのかもしれない、とそう話す本人は世話をかなりぎりぎりまで、拠ん所なく、自宅でしたらしい。日々、一人の病気に家中が振りまわされ、それが幾月も続いて、ようやく病人の根(こん)が折れ、ちょうどそれと同時に家の者の力も尽きた感じで、入院の運びとなった。それを境に病人は静かになり、看護婦や付添婦にも手間がかからないと言われ、家の者にとっても、一年ほど前の日常に復したかたちの生活に、日は妙にひっそりと、それでいてなにか寝起きのあらわなというか、者を喰うのもつましくなまなましく、ひたすら明けては暮れるというふうに流れた。最後の夜にはひと気ない病院の廊下を足音ひそめて往き来する家の者の顔が、血のつながらない夫婦まで、同じような骨相をぼってりと剥いていた。だから仕舞いまで病人の身近にいてつぶさに苦労したといえるほどのものであるのに、四十九日が近づいて、ある日、家の主人(あるじ)はふと、親の死をその時になって初めて、しかも遠くから知らされた、思い返そうとすると前後のひと月ばかりの間が、真っ白とはいわないが、いたずらにあざやかなばかりで遠い像のようになった、そんな心地にひきこまれたと。
(古井由吉『仮往生伝試文』)

小説家が書いた文を小説というのか、小説と呼ぶしかない文を書いた人を小説家というのか。

上の引用文でいえば、初めの方の文は確かに作者の統御の下に置かれ書かれているが、後半になるにつれて文の文字や音や意味などつらなりが次の文を生み出していく様がよく見える。そこでは作者は文章に隷属する筆記者にすぎない。

『東京タワー』はエンターテイメント小説であって、古井由吉の小説と比較するのは無理があるというなら最近読んだ本の次の一文はどうか。


「享保年間のごく始めのころ、江戸の町で、俗に『手拭心中』と呼ばれる心中が、一年半ほどのあいだに四件続いたことがある。
四件とも、互いの手を手拭で縛り、離れないようにして水中へ投身したもので、うち三件は首尾良くふたりとも死んだが、最後の一件だけは飛び込んだ拍子に手拭がほどけて、思わず水をかいて泳いでしまった男の方が助かった。生き残った男は、流行(はやり)の手拭など使わずに、心中のならいに従ってしごきで手を縛っておけば、自分だけこんな生き恥をさらすことにはならなんだと大いに悔やみ、助けた者の涙を誘ったという。」
(宮部みゆき『あやし』)


これは確かにエンターテイメントではあるけれど、あるリズムがしっかりと刻まれており、そのリズムによって、この小説が短編小説であること、そしてそれが今、ここから開始されるということを高らかに宣言している。



昔風の言葉でいえば、「文体」というものが『東京タワー』に希薄であることが、良いことか悪いことかは知らないが、ただそれが物足りなさを感じさせるものとなっていることだけは確かだ。


そんなことを思いながら読み進んでいたのだが、中盤以降、「オカン」の死に焦点を合わせ、一気にそこだけに収束していくあたりから物語に引き込まれていき、何度か涙を流しながら読み終えた。

そして、この小説は人に薦めていい小説ではないかと思った。
この小説はいかに人生を生きるべきか、そしてどう生きてはいけないのかを教えてくれる教養小説である。
生きる中でもっとも重要な位置を占めるであろう人との関係、そしてお金というものとどうつきあえばいいのか、この小説から学ぶことがたくさん書かれているからである。
そういう意味でこの小説を推薦したい。

↓ランキングに参加しています。クリックよろしく。
にほんブログ村 株ブログ
人気blogランキングへ
スポンサーサイト

コメント

ほんとだ。ダウ、S&Pなど上昇してますね。
これがドル安要因でなければいいんですけどね。

ブログ、これから寄らせてもらいます。

「東京タワー」買って
まだ読んでいません。
小説家とイラストレーターの
違いでしょうか。文体は。
ブログ更新しました。よかったら
寄ってください。
ダウ、ナスダックは
休み中に爆上げだそうです。
月曜からどういう転換になるのか・・。

コメントの投稿



管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

http://tousinokokoro.blog47.fc2.com/tb.php/86-f50a0d24

 | BLOG TOP | 


上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。